KARASHI ― 静寂を鳴らす、虚無のベーシスト
NOT YOUNGMANの低音を司る男、KARASHI(カラシ)。
彼の存在は、音楽という概念の“外側”にある。
優しげな声で誰にでも分け隔てなく接しながらも、
その瞳の奥には、人間という生き物への醒めた視線が潜んでいる。
「人間なんて、所詮ただのクソ袋さ。」
そう語る彼の口調には、どこか温かさすらある。
しかしその温度は、まるで冬の陽だまりのように脆く儚い。
KARASHIは“優しさ”という言葉を、どこまでも冷静に見つめているのだ。
■ 音を鳴らさないベーシスト
KARASHIはベースを手にしながら、音を出さない。
指先を動かすその姿は、あくまで儀式のようであり、祈りのようでもある。
彼がステージに立つと、そこに流れるのは「無音の旋律」だ。
観客は耳で聴くのではなく、心で彼の“低音”を感じ取る。
NOT YOUNGMANのライブでは、彼が弾かない音が、
逆にバンド全体の緊張感を際立たせている。
音が存在しないからこそ、空気が震え、静寂が鳴り響く。
それはまるで、音楽の死と再生を繰り返すような芸術的演出だ。
実際のライブではCDを流している。
■ 情報の狩人
オフステージのKARASHIは、観察者である。
人の表情、声の揺れ、言葉の選び方――
ほんのわずかな情報から、その人の“背景”を読み取る洞察力を持つ。
まるで探偵のように、あるいは詩人のように、
人間の“データ”を心の奥に収集し、静かに分析している。
しかしそれは決して他者を断罪するためではなく、
「人とは何か」を理解しようとする彼なりの信仰でもある。
音を鳴らさない彼が、沈黙の中で聴き取っているのは、
言葉にならない“心のノイズ”なのかもしれない。
■ ライブのラストを飾る「汚い花火」
NOT YOUNGMANのステージにおけるKARASHIの象徴的な瞬間は、
ラストを締めくくる“汚い花火”だ。
煌びやかでも、美しくもない――
だが確かに、観客の心に焦げ跡を残す。
煙と光が入り混じるその光景は、
まるで彼自身の存在そのもののように、儚く、そして確信的だ。
観る者は思うだろう――
あれは破壊ではなく、自己を燃やし尽くす芸術なのだと。
■ KARASHIという寓話
KARASHIはベーシストでありながら、哲学者であり、そして虚無の語り部だ。
彼の静寂には意味があり、無表情には物語がある。
音を出さずに観客の心を震わせるその姿は、
この時代のインディーズシーンにおいて、
もっとも“異質で、純粋な存在”といえるかもしれない。
「音がなくても、伝わるもんはある。
それが“生きてる証拠”やと思う。」
――彼の言葉は、静かに、けれど確実に胸を撃ち抜く。